小林聖心女子学院ブログ 小林聖心
女子学院
ブログ

丘の学び舎 その77(中高生版)

2020年7月6日 校長室より

中高生の皆さんへ
梅雨らしい日々が続いています。全員で授業を受けるようになって2週間近くが過ぎ、学校で顔を合わせて一緒に勉強できるということだけでも、どれほど幸せなことかと感じていることでしょう。
先日、小学校玄関前の花壇のところで、1年生を見送っていた時のことです。ヒマワリがたくさん咲いているのを見て、「ヒマワリ、きれいね。」と声をかけると「元気になる!」と返事が返ってきました。ヒマワリを見て元気になるという体験があったのでしょうか。それとも、誰か大人がそう言っているのを聞いて、そうなのだと思ったのでしょうか。いずれにしても、1年生のことばに私は元気をもらいました。黄色の効果でしょうか。それとも、大胆な花の形でしょうか。ヒマワリを見ていると、前向きな気持ちになって、元気が出てくるのは不思議です。
ヒマワリ(向日葵)は、太陽が移動することによって花の向きが変わるということから生まれた名前です。いつも太陽に向かって大きく花を開くヒマワリ。その姿から、初代学院長マザー・マイヤーの言葉を思い出します。
「高きを望め。あなた方の眼は、もっとも高きものを望んでいるように。
あなた方の一生は、高きものへの絶えざる努力であるように。」
小林聖心では、よく、「神様に心を向けなさい」と言われます。それは、自分の思いを超えて、神様の思いに心を合わせること、まさに、高きものを望むことです。高きものとは、人間的な意味で成功することや、高い評価を得ることを意味しているのでは決してありません。ヒマワリがいつも太陽に向かうように、神様に心を向け、神様に愛されている子供として、神様の思いに適った生き方ができるよう、努力し続けなさいということでしょう。
新型コロナウィルスの感染が、再び拡大してきています。また、4月以降の繰り返しになるのかしらと想像するだけで気が重くなります。こんな時はあのヒマワリに倣って、神様に顔を向け、神様を仰ぎ見ることにしましょう。必ず元気をくださいます。

丘の学び舎 その77(小学生版)

2020年7月6日 校長室より

クリックしてください。小学生の皆さんへ77

丘の学び舎 その76(中高生版)

2020年6月29日 校長室より

中高生の皆さんへ
分散登校期間が終了し、全員揃っての通常の授業が始まりました。まだまだクラブ等授業以外の活動はできませんが、学校に活気が戻ってきて、本当に嬉しいです。
先週、6月23日は沖縄戦などの戦没者を追悼する沖縄慰霊の日でした。第二次世界大戦末期、1945年3月下旬から米軍が沖縄に上陸し、約3カ月に及ぶ激しい地上戦の末、日本軍の組織的戦闘が終結した日が6月23日です。毎年、戦没者追悼式で朗読される「平和の詩」に思いを寄せることが、私としてのせめてもの追悼です。
今年選ばれた作品は、首里高校3年生高良朱香音さんの「あなたがあの時」でした。「懐中電灯を消してください」という書き出しを目にした瞬間、私自身の沖縄での体験が蘇ってきました。もう20年程前、初めて沖縄の「ガマ(壕)」に入った時のことです。ガマとは、沖縄戦の間、避難場所として用いられていた自然洞窟です。額に懐中電灯をつけながら奥まで入った時、ガイドの方の「懐中電灯を消してください」との言葉に、一つ一つと明かりが消えていきました。私はその時、それまでの人生で味わったことのないほどの暗闇を体験しました。隣に人がいるのはわかっているのですが、その人すら見えない漆黒の闇です。しかも6月のガマは、大変な蒸し暑さであったに違いありません。このようなところで、何ヶ月も、息を潜めて暮らさざるをえなかった方々の魂の叫びが地の底から響いてくるようでした。
今年の平和の詩「あなたがあの時」は、ガマでの暗闇の体験を思い起こさせるとともに、それを超える大きな希望の光を与えてくれました。
「あなたがあの時  あの人を助けてくれたおかげで  私は今  ここにいる
あなたがあの時  前を見続けてくれたくれたおかげで  この島は今  ここにある」
現代の私たちは、戦争のような非常事態ではありませんが、コロナとともに生きるという時代を担っています。先が何も見えず、不安は募るばかりです。しかし、今、一生懸命生きているというそのことが、未来の誰かにつながっている。今、私のすることの一つひとつが、必ず未来を創っていくのだということを、「あなたがあの時」は教えてくれました。一日一日を丁寧に過ごしていきたいです。

丘の学び舎 その76(小学生版)

2020年6月29日 校長室より

クリックしてください。小学生の皆さんへ76

丘の学び舎 その75(中高生版)

2020年6月22日 校長室より

中高生の皆さんへ
昨日は父の日でしたが、皆さんはどのように過ごしましたか。今日のお話は、一人ひとりのお父様というよりは、「天におられる私たちの父」についてです。皆さんが慣れ親しんでいる「主の祈り」に出てくる言葉ですね。
キリスト教では神様を「父なる神」と表現しますが、もちろん神様は人間ではありませんので、男性に限定されるわけではありません。英語の国では、「Our Father and Mother」と神様に呼びかけたりすることもあります。聖書では父なる神を強調しているように思われがちですが、よく読んでいると、神様の母性的な側面も描かれているのがわかります。
今日紹介したい一つの絵があります。それは、レンブラントの描いた「放蕩息子の帰還」という絵です。「ルカによる福音書」に出てくる「放蕩息子」のたとえ話は、皆さんよくご存じのことでしょう。ある金持ちの次男の話です。息子は自分が譲り受けるはずの財産をもらって家を出ていってしまったのですが、身を持ち崩してすべてを失い、何とか父親に助けてもらおうと家に戻ってきます。まだ遠くの方にいる息子を見つけた父親は憐れに思って走り寄り、大喜びで迎えた、という場面をレンブラントは描いています。「いなくなっていたのに見つかった」と、愛しい息子を抱き寄せています。
この絵の中で、とても不思議なのが、父親の両手です。なぜか右手と左手が全く別人のように異なっています。しなやかで繊細な右の手は、優しく弟の背中を撫で、大きくてがっちりとした左の手はしっかりと弟を受け止めているかのようです。神は愛そのものですから、父性的な愛と母性的な愛が統合された愛であることは、当然と言えば当然なのでしょう。レンブラントはたとえ話に登場する父親の手を描くことを通して、神様の愛の深さ、豊かさ、大きさを見事に表しています。
昨日は、ようやく小学校1年生の入学式を行うことができました。小林聖心の小学校で、神様の愛をたくさん受けて成長していきますように。

丘の学び舎 その75(小学生版)

2020年6月22日 校長室より

クリックしてください。小学生の皆さんへ75

丘の学び舎 その74(中高生版)

2020年6月15日 校長室より

中高生の皆さんへ
昨日、カトリック教会では「聖体の祝日」を祝いました。信者がミサの中でいただくイエス・キリストのからだ(イエス・キリストの命そのもの)であるパンが「ご聖体」です。
この「ご聖体」がまるで魔法のようにイエス様になって、それを食べる人の中に来てくださるというように考えられがちですが、大切なのは、イエス様が準備してくださる食卓を囲み、命のパンを分かち合って、食卓にあずかる人々が友となっていくということです。英語の「companion」はパンを分けあう「仲間」ですし、日本語ならば、「同じ釜の飯を食う仲間」ということになります。児童生徒の大好きな聖歌「マラナタ」の冒頭で「主の食卓を囲み、いのちのパンをいただき、救いの盃を飲み、主にあってわれらは一つ」と歌われる通りです。
イエス様はご自分を食べられるものとして残してくださいました。しかも、パンですから、割かれなければなりません。心を砕き、身をすり減らして、愛するという生き方を全うし、十字架の死を遂げられたイエス様は、パンとしてご自分を残し、食べられることでご自分の命を分け与えてくださるのです。それは私だけの命になるのではありません。食卓を囲み、食事を共にすることを通して友となり、喜びや苦しみ、そして、命を分かち合い、皆が一つとなってイエス様に似たものへと変えられていくのです。一緒に食事をすることで親しくなっていく、あるいは、友であることの印として一緒に食事をするという経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
日本でも世界でも、新しい生活様式ということで、食卓を囲むということには注意が必要になってきていますが、感染防止のためなら仕方がありません。でも、こんな時は、いただく食物にゆっくりと思いを馳せるチャンスかもしれません。心を込めて、「いただきます」「ごちそうさまでした」の挨拶ができるといいですね。動物や野菜の命をいただくこと、そして、この食物が目の前に準備されるまでに、色々な形で命を割いて働いてくださった方々への感謝を込めていただくことができますように。そうしたら、食事は命の交わりです。

丘の学び舎 その74(小学生版)

2020年6月15日 校長室より

クリックしてください。小学生の皆さんへ74

このページのトップへ