小林聖心女子学院ブログ 小林聖心
女子学院
ブログ

丘の学び舎 その89

2020年9月28日 校長室より

9月28日
いよいよ9月もあと二日となりました。「小さい秋みつけた」の歌が、思わず口に上ってくるような季節です。児童生徒は、毎日「みこころ坂」を上り下りしながら、小さい秋を色々見つけることでしょう。コロナのことも忘れそうな穏やかな日差しの中で、この平穏が当たり前ではないことをつくづくと感じています。
昨日、カトリック教会では、「世界難民移住移動者の日」ということで、紛争や気候変動等の理由で避難民となり、困難な生活を強いられている方々のために祈りました。COVID-19のパンデミックによって、どんな国の人も、どんなに満ち足りた生活を送っている人も、感染の不安を抱えています。宇宙船地球号に乗り合わせている私たち誰一人、このコロナ禍から免れることはできないからです。しかし、同時に、紛争から逃れようとしても国境が封鎖され、逃げ場を失い、劣悪な衛生状態の中でウィルスと闘いながら懸命に生きようとしている人々のことを忘れてはならないでしょう。コロナ禍で避難民に対する国際的な取り組みや援助はすっかり後回しにされているようです。難民の数は過去最大に上っていると報道されています。
遠い国の避難民も、日本人である私たちと無縁ではありません。例えば、コンゴ民主共和国では、携帯電話等に使われているタンタル等豊富な鉱物資源の利権を巡り、紛争が絶えません。そして、そうした紛争で犠牲となっているのが、女性なのです。2018年にノーベル平和賞を受賞したコンゴの婦人科医ムクウェゲ氏は、世界の人々にその悲劇を訴え続けています。
3月以降、確かに私たちの生活は一変し、どの国においても、経済の立て直しは最優先課題です。世界がこれからどういう方向に向かっていくのか、その推測も容易ではありません。しかし、こういう時だからこそ、地球の向こう側で起こっていることに心を寄せ、世界中の善意の人々とつながることを、小林聖心の児童生徒には学んでほしいと心から願っています。そして、この連帯こそが、ポストコロナの新しい時代を拓いていきますように。

丘の学び舎 その88

2020年9月21日 校長室より

9月21日
日に日に秋らしくなってきています。小学校の前庭のコスモスが風に揺れ、秋らしさを演出してくれています。いよいよ実りの秋ですね。りんご、梨、柿、ぶどう、いちじく、そして、栗と、秋の味覚を楽しむ季節になりました。
ところで、実りの秋の「実り」は、英語では「fruit」ということになります。フルーツというと果物だけを想像しがちですが、努力して成果があがるという意味の「実る」も、英語では同様に「bear fruit」ということになります。少しずつ大きく育って最後においしく熟す果物のように、コツコツと日々努力を積み重ねることによって、何か手ごたえのあるものが生みだされるということでしょう。
また、日本語の実りの「み」は、皮やからに覆われた中身を意味し、植物の場合の「実」と動物の場合の「身」に変化していったという説を読んだことがあります。果物の「実」も成果の「実」も、大事なのは「み」=「中身」なのです。
学校も実りの秋を迎えています。今年は4月5月と休校続きでしたし、その後も予防対策に努めながら、慎重に学校生活を通常に戻すように努めてきましたので、児童生徒の活動の幅からいえば、例年と同じというわけにはいきません。しかし、残暑が一段落し、空も高く澄んでいくこの季節に、一人ひとりが実りつつある、その「中身」の「実り」を、是非、見たいものです。
小中高生として歴史的、かつ世界的広がりを持つ出来事に遭遇した多感な世代の子供たちは、必ず今回の経験から何かを学んでいるに違いありません。今は表現できないでしょうし、大人の目にもよく見えないでしょう。しかし、世界の人々と共有する日々の重さの中で「身」に付けてきたことが「実」を結び、きっと神様が「中身」のある人間へと成長させてくださることでしょう。祈りを込めて、今年度の折り返し点を迎えたいと思います。


小学校前庭のコスモス

丘の学び舎 その87

2020年9月14日 校長室より

朝晩は秋らしくなってきましたが、まだまだ残暑厳しい9月です。早いもので前期の終わりが近づき、中高生はいよいよ期末考査です。
ところで、小中高の校長を務めていて何よりの喜びといえるのは、1年生から12年生まで、12年間の女の子の成長を目の当たりにすることができるということです。ランドセルが歩いているようだった子どもたちが素敵な女性になって学校を巣立っていく姿には、感慨深いものがあります。
先週のある日のこと、昼食準備の時間に小学校1年生の教室前廊下を歩いていると、子どもたちに周りを取り囲まれました。それぞれが思い思いに話しかけてきます。その中の一人が「シスターもここで一緒にお弁当食べればいいのに。」と言ってくれました。なんと嬉しいお招きでしょうか。中高では考えられないことですので、思わず顔がほころびました。
聖心の教育の根本に、「発達段階に応じた教育」という考え方があります。19世紀初頭の創立者聖マグダレナ・ソフィアの時代に、現代のような心理学はまだ誕生していませんでした。しかし、学校を始めるや否や、いち早く学習指導要領を完成させた創立者は、それぞれの教科ごとに、教授法や学習内容、教材を発達段階に応じて考慮するよう、学習指導要領の中で書き著しています。そして、その発達段階の区切りは現代の発達心理の考えにもそのままあてはまることに驚かされます。
人間の教育には、その段階でしておかなければ、あとで補うのは容易でないことがあります。あるいは、その段階の子どもたちに最も相応しい知的訓練を通して授業を展開することを、教師は心得ていなければなりません。創立者はよく、「家を屋根から建ててはいけません。」と仰いました。フランス語では、急いで見栄え良く物事を仕上げることを、「家を屋根から建てる」というそうですので、子供を育てる時には、急いで見栄え良く仕上げようとしてはならないという教訓でしょう。スピードを競い合う時代ですが、18歳までに、やるべき年齢でやるべきことを積み上げていくということを、これからも大切に実践していきたいと思います。

丘の学び舎 その86

2020年9月7日 校長室より

先週の木曜日と金曜日の二日間、イエズス会の竹内神父様のご指導で、12年生(高校3年生)の黙想会が行われました。12年生が全員揃って黙想に与れるのは、これで最後となります。
小林聖心では、7年生~12年生までの年間行事の一つである黙想会をとても大切にしています。二日間という時間をかけます。どんどん流れていく普段の生活から離れてちょっと立ち止まり、一人になって耳を澄ませるためには、時間が必要です。心がシーンと静かな湖面のようになる時、それまで気づかなかったものが映ってくるのです。そして、それが何を語っているのか、心の耳を傾けるのです。
7年生から黙想会ノートを一冊つくります。そこに、黙想会でいただいた神父様やシスターのお話、そして、自分自身のその時々の心の軌跡や振り返りを書き綴っていきます。卒業生は、このノートをまるで宝物のようにとても大切にしているようです。何人もの卒業生がそう話してくれるのを聞いたことがあります。卒業して何歳になっても、懐かしくなってふと開いてみるのだそうです。「あの頃の私はこんなことに悩み、こんなことを考えていたけれど、それを超えて今の自分がある。」と改めて自分自身を振り返ることができます。「神父様が仰ったことはあの時にはよくわからなかったけれど、今読み返してみるとすごくピンとくる。」といった発見もあるようです。人生の道のりを神様がずっと共に歩んでいてくださったことを確認できる宝が、黙想会ノートには詰まっているようです。
現代の中高生が一人なって沈黙で過ごし、自分自身と向き合って過ごす2日間。それは、なかなか容易なことではありません。7年生から一挙にできるわけではありません。しかし、沈黙のうちに祈るという日々の積み重ねと、6年間の黙想会の積み重ねで、一年一年、黙想会は深みを増していくことになります。
黙想会の最後に、校長は「おめでとうございます。」といって祝福の挨拶をし、生徒は「ありがとうございます。」と答えます。二日間の黙想を終えた魂は新しい命に誕生しますので、おめでたいのです。大人になったら、ほとんど与ることができないような黙想会という時間。今年もこの行事を通して、一人ひとり、成長したことでしょう。

丘の学び舎 その85

2020年8月31日 校長室より

今日で8月も終わりです。国からの要請を受けて休校に入ったのが3月2日。あれから早や半年が過ぎようとしています。休校中、児童生徒に何かを伝えたいという思いで、児童生徒宛ブログを書き始めました。しかし、学校生活は少しずつ落ち着きを取り戻し、学校で話をする機会が増えてきていますので、今回から、学校の様子や、折々に想い巡らしていること等、広く皆様に分かち合いたいと考えています。
先週の始業の日には、小学校でも中高でも、「すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り」を紹介しました。日本のカトリック教会は、昨年の教皇訪日を記念して、9月1日~10月4日を「すべてのいのちを守るための月間」と定め、「すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り」を唱えるよう、呼びかけています。その中で、すべてのいのちを守り、よりよい未来をひらくために、私たち人間を「愛の道具」として遣わしてくださいと宇宙万物の創り主である神様に願うところは、とても心に響いてきます。
女子教育を本分とする小林聖心で、「すべてのいのちを守る」生き方の意義を女の子に伝えることは、重要な使命であると感じています。なぜなら、女性は、いのちと密接にかかわる特性を備えているからです。「『ふつうのおんなの子』のちから」という著書の中で、理学博士の中村桂子さんは、「生きもの」を生かす社会は、人間を生かす社会であり、一人ひとりを生かす社会である。そして、まさにそれは、「ふつうのおんなの子」の考え方が生かされる社会なのだとおっしゃっているのが印象的です。
感染症の終息を祈るとともに、人間が傷つけてしまった地球のいのち、コロナ禍でますます見えてきた貧困を余儀なくされる方々のいのち、そして、激しい競争社会の中で弱者とされてしまった人々いのち、まさに、すべてのいのちを守るという生き方を、今、選んでいかない限り、人類の未来はどうなっていくのでしょうか。女の子には現代世界における特別な使命があることを痛感しています。
小林聖心で学ぶ子供たちが、未来を拓く女性として、「生きもの」を生かし、一人ひとりを生かす「愛の道具」として遣わされていきますように。

ロザリオヒルで自然と親しむ小学生

丘の学び舎 その84(中高生版)

2020年8月24日 校長室より

中高生の皆さんへ
夏休みの最後の日々、どのように過ごしましたか。今年は3週間という短い夏休みになってしまいましたが、工夫して上手に時間を使うことができたでしょうか。
先週、関西では危険な暑さが続きました。コロナ対策のマスクのこともあり、熱中症の警戒がますます高まっていました。しかし、そんな暑さの中、10日程前のある夜、コオロギが鳴いているのを耳にして、不思議と涼しげな気持ちになりました。確かに暦の上では、8月23日が「処暑」で、暑さが一段落する時期です。秋の虫たちは、季節の移り変わりを察知しているようです。
コオロギの「コロコロ コロコロ」 という鳴き声を聴きながら、つい口に上ってくるのは、小学生の時に習った「虫のこえ」という歌です。「♪あれ 松虫が鳴いている ちんちろ ちんちろ ちんちろりん あれ 鈴虫も鳴き出した りんりん りんりん りいんりん 秋の夜長を 鳴き通す ああ おもしろい虫のこえ♪」私は最後の節がとても好きです。虫の音ではなく、虫の声。そして、その声はとても「面白い」のです。日本語の「面白い」には色々な意味がありますが、この場合あてはまるのは、「心に響くものがある」という面白さではないでしょうか。
英語では「虫の音(insect sound)」と表現するのが普通です。日本語で虫の「音」ではなく虫の「声」と表現するのは、母音中心で成り立つ日本語の特性によるものであるという研究があります。日本語で日々意思疎通を行っている日本人が、日本語同様母音的な構造を持つ自然の音を聴くと、そこに意味を見出すことができるのだということを述べられた角田忠信先生の著書を読んだことがあります。やはり私たちには、「虫の音」ではなく「虫の声」がぴったりですね。ただの音のようには思えません。風のそよぎ、小川のせせらぎ、そういった自然がつくり出す音はすべて声のように語りかけ、心に響いてくるというのが実感です。
コロナだ、熱中症だ、と穏やかならざる日々ですが、ちょっと耳を澄ませ、厳しい残暑の中でも、心に響く「声」に気づいてみたいものです。

丘の学び舎 その84(小学生版)

2020年8月24日 校長室より

小学生の皆さんへ84クリックしてください。

 

丘の学び舎 その83(中高生版)

2020年8月17日 校長室より

中高生の皆さんへ
猛暑が続いていますが、楽しい夏休みを過ごしていますか。
先週は、ご先祖の霊をお迎えする行事が行われるお盆でしたので、お墓参りに出かけた人もいることでしょう。すでに亡くなった家族が決して遠くへ行ってしまったのではなく、一緒にいてくださるということを思い起こす時です。そして、先祖から脈々とつながって自分の命があるということに、感謝する機会でもあると思います。
キリスト教にも、同じような考え方があります。もうすでに神さまのもとに召された方々、そして、今はこの地上で生きているけれど、いつか天に帰っていく私たちすべての者が、神様の恵みによって一つに結ばれているという信仰です。そのことを「聖徒の交わり」と呼んでいます。そして、亡くなった方々は、私たちのために神様にとりなして祈ってくださるということを信じています。
ところで、小林聖心の敷地には、25名のシスター方が眠っておられる墓地があるということはご存知ですね。学校に墓地があるというのはとても珍しいことであり、また有難いことでもあります。初代学院長のマザー・マイヤーはこの小林の土地に学校を建てることになった時、何よりもまず先に、「ここを私たちの墓地にしましょう。」とお決めになったとのことです。私の日課の一つは、お墓参りをすることです。もちろんお会いしたこともないシスターたちばかりですが、人から聞いた話や、残っている資料から、どういう方々だったのかを知るようになると、とても親近感が湧いてきます。そして、私を迎えてくださるシスターたちに取り囲まれて色々お話すると、不思議と心が安らいできます。確かにシスターたちは、この学校の児童生徒、教職員、保護者の皆様、そして、小林の丘全体のことを見守っていてくださいます。
どうぞ、この時期、血のつながった先祖はもちろんのこと、戦争で犠牲となられたたくさんの方々、そして、小林聖心の恩人方等、沢山の方々の命につながって今の自分があるのだということも、祈りのうちに思い巡らしてみてください。

このページのトップへ