2011年7月 8日 18:17
「身についていますか」
先日、大学3年生のある卒業生と話す機会に恵まれました。彼女曰く、大学に入ってみて、自分にはこの小林聖心で身についたものがある、ということを実感したのだそうです。
例えば、「授業に先生が入って来られると、無意識のうちに立ってしまう」ことや、重い荷物を持っておられる先生がいらしたら、「お持ちしましょうか」と手が出てしまうというようなことだと語ってくれました。確かに、こうしたことは体が覚えていて、意識しないで自然にできる、文字通り身についたことなのでしょうね。
学校というところは、あらゆる活動を通して、色々なことを身につける場です。
例えば、まず「知識や教養」。意外に思えるかもしれませんが、実はこうしたものは頭の働きだけの結果ではなく、体全体が関わって始めて本物になります。また、実際に体を使って何かが出来るという「技術」、これももちろん、様々な教科や活動を通して身につくことです。
さらに、「習慣」のようなものも身につきますね。例えば、朝礼では並んで沈黙に入り、朝の祈りを唱えるといったような、学校独自の習慣がその一つです。
ところで、皆さんには、これ以外にも身につけてほしいことがあります。
それは、周りの状況を見て、その場にふさわしい行動ができる、また他の人への思いやりや心配りを、具体的に体を動かすことで表すことのできる、実際性です。
例えば、狭い廊下で人とすれ違いそうになった時、どうしますか。そっと避けてくださるのは先生で、自分たちは何人もが並んで堂々と歩いている、などということはないでしょうか。ドアを開けて通り過ぎる時、自分の後に誰か続いていないかしらと、後ろを振り向きますか。ドアの前で先生と一緒になった時、自分の方がドアを押さえて「先にどうぞ」と先生をお通しできていますか。
この頃、「あら、どうしたのかしら」と思う場面に出くわすようになりました。特に今のシーズン、傘をさして通学する時、色々と思いやりを行動で示す必要が出てきますね。傘をさした者同士がすれ違う時、日本には「傘かしげ」といって、互いに傘をちょっと外側に傾けて相手に雨がかからないようにするという美しい習慣があります。是非、身につけてほしいですね。ぐいぐい我先にと言わんばかりに傘を押し合って通ろうとする姿は、何か悲しくなります。
どうぞ、皆さんもこの学校を卒業した時、「小林聖心でこういうことが身についた」と、たくさんのことを発見できますように。そのためにも、日常の小さなことに心を込めて、丁寧に生活してほしいと願っています。