創立者聖マグダレナ・ソフィアの祝日、おめでとうございます。この一人のフランス人女性のお蔭で聖心女子学院が始まり、日本にも学校が創立され、こうして小林聖心に集められて一緒に学んでいるということは、本当に不思議です。そして、世界中の聖心女子学院の子どもたちが、創立者につながって、同じようにお祝いしているということもとっても嬉しいことです。
ところで、今日のごミサで神父様が朗読されたヨハネによる福音書のみことばは、聖マグダレナ・ソフィアが大好きな箇所でした。「わたしはぶどう木、あなた方はその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」というところです。フランスのジョアニーという町で生まれた聖マグダレナ・ソフィアは、ぶどうの木を見て育ちましたので、イエス様のこのことばは身にしみてわかっていたに違いありません。ですから、イエス様というぶどうの木につながる子どもたちで世界をいっぱいにしたいという熱い思いで、聖心女子学院を始めてくださいました。イエス様とのつながりと同じように大切なのが、枝と枝とのつながりです。ごミサの中でコリンズ神父様が仰っていましたね。一本一本の枝は他の枝とつながりながら、イエス様という木につながっているのです。人間同士のこの横のつながりも大切に考えておられた聖マグダレナ・ソフィアの心からの願いは、今日、読まれた手紙に書かれていたとおりです。
聖心女子学院で学ぶ「みこころの子ども」には使命がある、ということです。その使命とは、利己主義が蔓延する社会の中で、「物惜しみしない心」をもって生きることです。少しでも周りの世界や社会をよくするために、自分にできることを一生懸命、実際の行いで表すということです。革命後のフランスであれ、21世紀の日本であれ、人の心は変わっていないようですね。自分のことしか考えられなくなり、人が孤立化していく社会の中で、他の人とつながり、自分の能力、時間、エネルギー、手足、全部を用いて人を活かす人になりなさいということでしょう。
ミサの後に伺った、東日本大震災の復興支援に携わっておられる春名神父様のお話のテーマも「一つの体 多くの部分」でした。体の中のちょっとした小さな部分でも、怪我をしたりすると、どれほど大切な部分であったかに気づかされます。一つの体として、一緒に痛みを覚えるのです。昨年の大震災と津波、原発の事故という辛い出来事で、日本中、また、世界中の人々が一緒に痛みました。今も苦しんでおられる方々が安らぎを得られない限り、本当の意味で私たちが心の平安を取り戻すこともありません。私たちも体の一部分として何ができるのかを考え、一つでも実行に移すこと。直接、行けなくてもできることが色々あるということを、今日のお話から学ぶことができました。
どうぞ、皆さんが「みこころの子ども」のしるしである「物惜しみしない心」をますます育てることができますように。目を開き、耳を開き、心を開いて、その時、その場で必要なこと、私にできること、私がすべきことを実際に行うという姿勢で、身の回りの小さなことから始めることができますように。この祝日にあたり、聖マグダレナ・ソフィアの取次ぎを願って、お祈りしています。