2012年10月19日 18:08
「しっかりと立つ」
小林聖心では、中高それぞれで、または合同で、毎日朝礼を行なっています。朝の祈りと先生方のお話という10分弱の時間ですが、その間、「しっかりと立つ」ということはとても大切なことです。今日は皆さんに、その「立つ」ということの意味を考えていただきたいと思い、お話します。
よく、列を揃えて真っ直ぐにと言われますが、まずは、全体の中で自分はどこに立てばよいのか、自分の立ち位置を自分で見極められるということが大切です。そして、自分の場が定まったら、二本の足でしっかりと立つこと。足が開いていたり、手を組んでいたりというのではなく、背筋も手足も頭もすっと伸びて、「私が立っている」という落ち着いた姿を見たいですね。
生物的に考えても、二本の足で立てるということは、とてもすばらしい人間の能力です。というよりは、むしろ人間は二本の足で立つことによって、人間になったといった方が正しいですね。直立姿勢を取るようになったことで、手が自由になり、手を用いた作業ができるようになりました。そして、脳が発達し、言語も生まれてきました。ですから、人間であることの意味は、堂々とした立ち姿で表すことができると言っても過言ではありません。
しかし、人間にとって「立つ」ことの意味はそれだけではありません。例えば、「独り立ち」というような言葉がありますね。赤ちゃんが一人で立てるようになることを意味すると同時に、大人になり、自立していくことも意味します。また、皆さんもよく知っている孔子という中国の思想家は、「われ、三十にして立つ」という言葉を残しています。それはもちろん30歳になって初めて足で立つという意味ではなく、自分の道を決め、気持ちを固めて人生をしっかりと歩んでいこうという決意を表しています。つまり、「立つ」ということには、身体的な姿勢と同時に、人間の内面的な姿勢、生きることに真剣に向き合う姿勢が表れてくるのです。
スポーツ選手は「コート」や「マウンド」に立ち、役者は「舞台」に立ちます。そこが自分の生きる場で、そこにすべてをかけます。「樹」は植えられた場にしっかりと立ち、空に向かって真っ直ぐに伸びていきます。皆さんが、毎日朝礼で立つ姿がその日の自分をつくり、人生全体を方向付けていきます。皆さんの立つ姿は、まさに生きる姿そのものになっていくのです。どうぞ、今日からの毎日、朝礼で「立つ」皆さんの姿が、そんな真摯な生きる姿の表れとなりますように、心から願っています。