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丘の学び舎 その74(中高生版)

2020年6月15日 校長室より

中高生の皆さんへ
昨日、カトリック教会では「聖体の祝日」を祝いました。信者がミサの中でいただくイエス・キリストのからだ(イエス・キリストの命そのもの)であるパンが「ご聖体」です。
この「ご聖体」がまるで魔法のようにイエス様になって、それを食べる人の中に来てくださるというように考えられがちですが、大切なのは、イエス様が準備してくださる食卓を囲み、命のパンを分かち合って、食卓にあずかる人々が友となっていくということです。英語の「companion」はパンを分けあう「仲間」ですし、日本語ならば、「同じ釜の飯を食う仲間」ということになります。児童生徒の大好きな聖歌「マラナタ」の冒頭で「主の食卓を囲み、いのちのパンをいただき、救いの盃を飲み、主にあってわれらは一つ」と歌われる通りです。
イエス様はご自分を食べられるものとして残してくださいました。しかも、パンですから、割かれなければなりません。心を砕き、身をすり減らして、愛するという生き方を全うし、十字架の死を遂げられたイエス様は、パンとしてご自分を残し、食べられることでご自分の命を分け与えてくださるのです。それは私だけの命になるのではありません。食卓を囲み、食事を共にすることを通して友となり、喜びや苦しみ、そして、命を分かち合い、皆が一つとなってイエス様に似たものへと変えられていくのです。一緒に食事をすることで親しくなっていく、あるいは、友であることの印として一緒に食事をするという経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
日本でも世界でも、新しい生活様式ということで、食卓を囲むということには注意が必要になってきていますが、感染防止のためなら仕方がありません。でも、こんな時は、いただく食物にゆっくりと思いを馳せるチャンスかもしれません。心を込めて、「いただきます」「ごちそうさまでした」の挨拶ができるといいですね。動物や野菜の命をいただくこと、そして、この食物が目の前に準備されるまでに、色々な形で命を割いて働いてくださった方々への感謝を込めていただくことができますように。そうしたら、食事は命の交わりです。

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