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丘の学び舎 その100

2020年12月14日 小学校校長室より

12月14日
学校は、冬休み前、最後の週となりました。今週は寒さも厳しくなってくるようです。
学校はどうなっていくのかしらと不安の多い学年始まりでしたが、なんとか無事にここまで来ることが出来ました。それにしても、この一年近くの学校の経験は、何と表現したらよいのでしょうか、未だに言葉が見つかりません。
小林聖心では、例年、11月~2月にかけて、12年生、6年生、9年生の順で、校長面接が続きます。6年前はこんなに小さかったのに・・・とか、3年前はこんな様子だったとか思い起こし、一人ひとりの成長を目の当たりにしながら、話に耳を傾けています。子供たちはそれぞれの発達段階に応じて、それぞれの時期に、成長・変容していくものです。
面接をしていると、ふと、聖書のみ言葉が浮かんできます。
「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。」
(マルコによる福音書3章26~28節)
「わたし(パウロ)は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」(コリントの信徒への第一の手紙3章6,7節)
人間は「創造された共同創造者Created Co-Creator」であるともいわれるように、人間には、神の変容のみ業に能動的・積極的に参与する責任があります。しかし、その責任は、自分たちの思いで成長をコントロールすることではなく、よい土になるよう働きかけ、水を注ぐこと。そして、土がひとりでに実を結ぶのを信頼して待つことなのではないでしょうか。
待降節第三週目に入りました。イエス・キリストの降誕祭も間近に迫ってきています。「待つ」ことについて思いめぐらす日々を過ごしながら、「待つ」ことが苦手になった現代人が最も待てなくなっているのは、子育てにおける「待つ」ことかもしれない、との思いを新たにしています。

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