小林聖心女子学院ブログ 小林聖心
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丘の学び舎 その42(中高生版)

2020年4月30日 校長室より
中高生の皆さんへ 今日で4月も終わりですが、お家での生活はまだまだ続きますね。でも、ここはもうひと踏ん張り、みんなで頑張っていきましょう。 このところ、ほとんど一日中マスクをしているせいでしょうか。それとも、無意識のうちに空気をあまり吸わないようにしているのでしょうか。浅くて短い呼吸をしている自分にふと気づかされます。そんな時は、だいたい心がそわそわしています。皆さんはこの頃どんな呼吸をしていますか。 小林聖心では、姿勢を正し(調身)、心を整え(調心)、呼吸を整える(調息)ということを大事にしています。宗教の授業の始まりや、黙想会等では正座を行いますし、何か事を始める前にしばらく沈黙するということも、呼吸を整えることにつながります。皆さんは、呼吸の大切さをすでに身体で覚えていることでしょう。大きな力で生かされていることを全身で感じ、ゆったりとした素直な気持ちになったという経験があると思います。 「主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」これは旧約聖書の創世記に出てくる天地創造の一節です。私たちが生きていることの証しともいえる一呼吸、一呼吸。その始まりは、大いなる神様が一人ひとりに生きるようにと願って、フーッと吹きかけてくださった命の息。その最初の命の息のことを忘れてしまうと、様々なことに心奪われ、バタバタと生活し、呼吸が浅く短くなっていってしまうのかもしれません。 時には、空気のいいところで深呼吸をしてみるのもいいです。あるいは、椅子に腰かけて、調身、調心、調息とやってみることもいいことです。一呼吸、一呼吸を味わいながら、今、生きている自分を味わってみてください。気分もめいりがちなこの時、ゆっくりとした深い呼吸が生きる力をくれます。

丘の学び舎 その42(小学生版)

2020年4月30日 校長室より
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丘の学び舎 その41(中高生版)

2020年4月29日 校長室より
中高生の皆さんへ 今日は4月29日、昭和の日です。いつもなら大型連休を楽しみにしていた頃でしょう。この新型コロナウィルスの世界的感染拡大という事態がなければ、私は、昨日、28日の夜遅く、アメリカのマイアミから帰ってくるはずでした。4年に一度開催される世界聖心校長会が、今回はアメリカのマイアミで予定されていました。世界30ヵ国程、140を超える聖心女子学院の校長先生方と、学院の未来について語り合えるのを楽しみにしていただけに、中止となって本当に残念でなりません。 せめてもマイアミの学校に行った気分を味わおうとホームページを開いてみると、美しいキャンパスの映像とともに、ある言葉が目に留まりました。「While we are apart, our ♡ is with you.(離れていても、私たちの心は皆さんと一緒にいますよ)」という、児童生徒への先生方からのメッセージです。「一緒にいる。」これは世界中のどの聖心女子学院も大事にしている聖書のみ言葉から来ているのでしょう。「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である」(ヨハネによる福音書15章)イエス様とつながって一緒にいるから大丈夫なのです。「♡」はみこころを表しています。マイアミの学校紹介動画によれば、教室への入り口に立つイエス・キリストのご像は、このみ言葉の書かれた書物を持っていました。 皆さんもよくご存じのように、創立者聖マグダレナ・ソフィアご自身、度々、引用しておられたみ言葉です。故郷のジョアニーで幼い頃からぶどう畑に親しみながらお育ちになったことからわかるように、聖マグダレナ・ソフィアとイエス様のつながりの原点ともいえるのが、ぶどうの木なのです。 世界の聖心女子学院は、現在、ほとんど休校中でしょう。でも、どの国の「みこころの子供たち」も、先生方も、イエス様につながり、神様につながっているという思いを大切に、一致してこの時を過ごしていることと思います。そして、フランスで幾度となく疫病の蔓延を体験された聖マグダレナ・ソフィアが、世界中の「みこころの子供たち」を見守っていてくださるに違いないと私は確信しています。 ジョアニーのぶどう畑

丘の学び舎 その41(小学生版)

2020年4月29日 校長室より
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丘の学び舎 その40(中高生版)

2020年4月28日 校長室より
中高生の皆さん 先週4月22日(水)の夜から未明にかけて、「こと座流星群」がピークを迎えるとの報道を耳にしました。「こと座流星群」は4月に観測される春の流星で、1時間に10個前後は見ることができるようです。今年は経済活動が抑えられているので、照明の光や大気汚染の影響が少なく、観測には絶好の条件になるのではといわれていました。こんな時だからこそ、地球の時間に縛られることなく、悠久の宇宙に思いを馳せてみたいものです。 星といえば、今日も、私の好きな絵本を紹介したいと思います。旧チェコ・スロヴァキア生まれピーター・シスの文と絵(原田勝 日本語訳)による、「星の使者」という本です。科学者ガリレオ・ガリレイの生涯を美しいイラストと共に綴っています。 人々が宇宙の中心は地球で、太陽が地球の周りを回っていると考えていた時代に、地動説を唱え続けた結果、宗教裁判にかけられて有罪となり、亡くなるまで10年近く家から出ることが許されなかったガリレオ。理性と勇気に支えられ、信念を貫き通したガリレオの生き方がひしひしと伝わり、心打たれるお話です。「わたしたちに知覚と理性と知性を授けられた神ご自身が、それを使ってはならないとお考えになるでしょうか。わたしにはとてもそうは思われません・・・。」ガリレオは最後まで、みずから考え、判断する自由を放棄しませんでした。 どうぞ、時には夜空を見上げ、宇宙に思いを馳せてきたたくさんの科学者達のことを想像してみてください。私たちが当然のこととして習っていることは、どれも長い人間の歴史における英知の結集であり、沢山の人が命をかけて真理を探究した結果であるということを覚えておいてほしいと思います。そして、自ら考え、自分自身と対話するという作業を、是非、お家の中で楽しんでみてください。

丘の学び舎 その40(小学生版)

2020年4月28日 校長室より
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丘の学び舎 その39(中高生版)

2020年4月27日 校長室より
中高生の皆さんへ 新しい週を迎えました。元気で過ごしていますか。 学校は、今、タケノコのシーズンを迎えています。みこころ坂に面した崖に、あれだけの竹林が広がっていますので、思いもよらないところでにょきにょきとタケノコが顔を出してくるのも、不思議ではありません。その成長の早さには、本当に驚かされます。一日10センチ以上は伸びているように見えますが、実際はどうなのでしょう。そして、あるところまでくると、茶色い皮の中からつやつやした緑の竹が姿を現すのです。 ところで、勢いよく伸びるタケノコを見る度に思い出すのが、子供の頃に読んだ、良寛さまとタケノコのお話です。皆さんもきっと読んだことがあるのではないでしょうか。 良寛さまの家の床下でタケノコが顔を出しました。床板に頭が届きそうなのを見て、良寛さまは急いで床板をはがしてあげました。「これでよい。思う存分伸びなされ。」と嬉しそうに眺めていると、タケノコはぐんぐん伸びて、10日程も経つと、今度は屋根に届いてしまいました。「かわいそうに」と思った良寛さまは、屋根に穴をあけ、そこから伸びていけるようにしてあげました。 床と天井に穴のあいた小さな家で、にこにこしながらタケノコを見守っている良寛さまの絵が、今でも目に焼き付いています。 小林聖心で見るタケノコの様子は、皆さんの成長の姿と重なります。1年生から12年生まで、毎日ぐんぐん伸びていく皆さん。まだまだ小さいと思っていたのに、今日出会ったら、お姉さんみたいになっていたとか、ちょっと人前で恥ずかしそうだったのに、今は堂々とリーダーを務めているとか、毎日、皆さんの成長を見せていただくのは嬉しいことです。 今しばらくは、ただ我慢することしかできない毎日ですが、これはきっと皆さんが、「節」を作る時なのではないでしょうか。竹は細くても「節」のお陰でどんな強風にも倒れることがありません。硬くてしっかりとした「節」を作れますように。そして、ぐんぐん伸びていけますように。神様は、「床も屋根も突き抜けて大きくなりなさい」と仰っていると思います。

丘の学び舎 その39(小学生版)

2020年4月27日 校長室より
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丘の学び舎 その38(中高生版)

2020年4月24日 校長室より
中高生の皆さん 新緑の眩しい季節になってきました。こんな季節になると「♪青葉若葉に、風~かお~り~て~♪」という聖歌を歌いたくなります。大きな声で歌える日は、いったいいつ来るのでしょうか。待ち遠しいです。校庭やみこころ坂の景色を眺めながら、今日は、「緑」の話をしようと思いました。学年カラーでいえば12年生の「緑」、そして、6年生は「緑」を受け継ぐ学年です。 ところで、目で見ると緑色に違いない葉っぱのことを、日本語では「青葉」といったりします。これはいったい何故なのでしょう。青葉だけではありません。緑色のものを何の違和感もなく「青」と呼んでいるのです。青菜、青じそ、青ネギ、青虫、青信号等々、数えあげたらきりがありません。 調べてみると、日本で古くから使われていた言葉では、色を表す言葉は「赤」「青」「白」「黒」の4つしかなかったようです。色というよりは、光や明るさという観点から生まれた表現です。ですから、今、私たちが「緑色」ととらえているものは、かつて「青」の範疇に入っていたということになります。「緑」は色そのものを表すというよりは、木々の新芽や若枝の「新鮮で活き活きしている」様子を表す「みどり」なのです。赤ちゃんを「みどりご」と呼ぶのも、初々しい命を表現しているのでしょう。 日々、色合いが変化する新緑を眺めているだけで、なんだか嬉しい気持になってきます。「緑」は安心感や平和、調和を表す色ともいわれ、確かに気持ちを穏やかにし、リラックスさせてくれます。外出もままならず、内向きになりそうな心を、ちょっと外に向けてみましょう。命溢れる「みどり」の自然界から、私たちも新しいエネルギーをいただくことができるに違いありません。

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