小林聖心女子学院ブログ 小林聖心
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児童会役員、部長選挙

2020年6月30日 小学校

今年の入学式は、6月にクラス単位で行われるという異例のものでしたが、上級生代表挨拶も、5年生時の児童会役員が動画で行いました。
分散登校中にもかかわらず立派に役目を務めた児童たちに、やはり自主的実践的な集団活動を運営する機会をもち、その能力を高めていくべきとの考えから、選挙を行い、児童会の活動を再開することになりました。
密を避けるため、6年生だけの参加とはなりましたが、今日、演説会と投票が行われました。

昼休み

2020年6月29日 小学校

梅雨の晴れ間となった今日の昼休み、運動場へ出てみました。
たくさんの子どもたちが思い思いに遊んでいました。
休校中はきっとこんな時間を過ごすのは難しかったのでしょう。
とても楽しそうでした。

セミをつかまえた子どもが見せに来てくれました。
ニイニイゼミです。
いよいよ夏本番です。

 

丘の学び舎 その76(中高生版)

2020年6月29日 校長室より

中高生の皆さんへ
分散登校期間が終了し、全員揃っての通常の授業が始まりました。まだまだクラブ等授業以外の活動はできませんが、学校に活気が戻ってきて、本当に嬉しいです。
先週、6月23日は沖縄戦などの戦没者を追悼する沖縄慰霊の日でした。第二次世界大戦末期、1945年3月下旬から米軍が沖縄に上陸し、約3カ月に及ぶ激しい地上戦の末、日本軍の組織的戦闘が終結した日が6月23日です。毎年、戦没者追悼式で朗読される「平和の詩」に思いを寄せることが、私としてのせめてもの追悼です。
今年選ばれた作品は、首里高校3年生高良朱香音さんの「あなたがあの時」でした。「懐中電灯を消してください」という書き出しを目にした瞬間、私自身の沖縄での体験が蘇ってきました。もう20年程前、初めて沖縄の「ガマ(壕)」に入った時のことです。ガマとは、沖縄戦の間、避難場所として用いられていた自然洞窟です。額に懐中電灯をつけながら奥まで入った時、ガイドの方の「懐中電灯を消してください」との言葉に、一つ一つと明かりが消えていきました。私はその時、それまでの人生で味わったことのないほどの暗闇を体験しました。隣に人がいるのはわかっているのですが、その人すら見えない漆黒の闇です。しかも6月のガマは、大変な蒸し暑さであったに違いありません。このようなところで、何ヶ月も、息を潜めて暮らさざるをえなかった方々の魂の叫びが地の底から響いてくるようでした。
今年の平和の詩「あなたがあの時」は、ガマでの暗闇の体験を思い起こさせるとともに、それを超える大きな希望の光を与えてくれました。
「あなたがあの時  あの人を助けてくれたおかげで  私は今  ここにいる
あなたがあの時  前を見続けてくれたくれたおかげで  この島は今  ここにある」
現代の私たちは、戦争のような非常事態ではありませんが、コロナとともに生きるという時代を担っています。先が何も見えず、不安は募るばかりです。しかし、今、一生懸命生きているというそのことが、未来の誰かにつながっている。今、私のすることの一つひとつが、必ず未来を創っていくのだということを、「あなたがあの時」は教えてくれました。一日一日を丁寧に過ごしていきたいです。

丘の学び舎 その76(小学生版)

2020年6月29日 校長室より

クリックしてください。小学生の皆さんへ76

教室移動

2020年6月25日 小学校

一斉始業が始まってから、教室の移動もできるようになりました。
英語、音楽、図工、図書など、それぞれ専用の教室へ行って授業を受けます。
また、今日は理科の授業で屋外へも出ました。
移動先の教室では決められた番号の椅子に座ります。
体育館の床にも番号を記したテープが貼られています。
やはり、適した場所での授業には、子どもたちも意欲的になれるようです。

集団下校

2020年6月24日 小学校

今日から、1年生は先生といっしょに集団下校です。
宝塚方面と西宮北口方面に分かれて、坂道を下ります。
今日も強い日差しでしたが、みこころ坂の緑のトンネルを歩くのは気持ちがいいです。

小林駅へ着きました。
みんな一列で改札を通ります。
ホームでは、お行儀よく電車を待ちました。
これからもずっと安全に帰れますように。

チューリップは?

2020年6月23日 小学校

朝からよく晴れた日でした。
ヒマワリが咲く前庭を小学生が登校してきます。
今日は2年生が1年生の時に植えたチューリップがどうなっているのか、確かめる授業がありました。

もうしっかり花の落ちたチューリップの茎が枯れて鉢にたっています。
その茎を抜いてみると「あれぇ、ない」と不思議そうです。
土の中を探す子どもが出てきました。「あっ、なんか固い」
ブルーシートの上で土をひっくり返してみると、球根が出てきました。
空になった鉢には、明日、野菜の苗を植える予定です。

丘の学び舎 その75(中高生版)

2020年6月22日 校長室より

中高生の皆さんへ
昨日は父の日でしたが、皆さんはどのように過ごしましたか。今日のお話は、一人ひとりのお父様というよりは、「天におられる私たちの父」についてです。皆さんが慣れ親しんでいる「主の祈り」に出てくる言葉ですね。
キリスト教では神様を「父なる神」と表現しますが、もちろん神様は人間ではありませんので、男性に限定されるわけではありません。英語の国では、「Our Father and Mother」と神様に呼びかけたりすることもあります。聖書では父なる神を強調しているように思われがちですが、よく読んでいると、神様の母性的な側面も描かれているのがわかります。
今日紹介したい一つの絵があります。それは、レンブラントの描いた「放蕩息子の帰還」という絵です。「ルカによる福音書」に出てくる「放蕩息子」のたとえ話は、皆さんよくご存じのことでしょう。ある金持ちの次男の話です。息子は自分が譲り受けるはずの財産をもらって家を出ていってしまったのですが、身を持ち崩してすべてを失い、何とか父親に助けてもらおうと家に戻ってきます。まだ遠くの方にいる息子を見つけた父親は憐れに思って走り寄り、大喜びで迎えた、という場面をレンブラントは描いています。「いなくなっていたのに見つかった」と、愛しい息子を抱き寄せています。
この絵の中で、とても不思議なのが、父親の両手です。なぜか右手と左手が全く別人のように異なっています。しなやかで繊細な右の手は、優しく弟の背中を撫で、大きくてがっちりとした左の手はしっかりと弟を受け止めているかのようです。神は愛そのものですから、父性的な愛と母性的な愛が統合された愛であることは、当然と言えば当然なのでしょう。レンブラントはたとえ話に登場する父親の手を描くことを通して、神様の愛の深さ、豊かさ、大きさを見事に表しています。
昨日は、ようやく小学校1年生の入学式を行うことができました。小林聖心の小学校で、神様の愛をたくさん受けて成長していきますように。

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