小林聖心女子学院ブログ 小林聖心
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丘の学び舎 その71(中高生版)

2020年6月10日 校長室より
中高生の皆さんへ いよいよ学校再開、第二段階の分散登校が始まります。昨日は、3ヶ月ぶりにチャイムの音を聞き、とても新鮮な感動を覚えました。オンラインで配信している朝の祈りの最後のタワーベルが、昨日は小林の丘に鳴り響き、清々しい気持ちで一日を始めることができました。 毎日、夜明けがどんどん早くなってきていますね。5時前に日の出を迎え、夜は7時を過ぎてもまだ薄明るいです。今年の夏至は6月21日ですから、昼の長さが一番長い頃に差しかかっているということを実感させられます。夏至と冬至では、昼の長さが5時間近くも違うということで、今は本当に明るい時期なのです。 しかし、新しい生活様式で気を遣うことや制約も多い中、いよいよ梅雨が近づいてくるとなると、心は沈みがちになり、太陽の光が恋しくもなるのではないでしょうか。そんな時に思い出すのが、聖書のみ言葉です。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」(エフェソの信徒への手紙5:8,9) イエス様という希望の光そのものである方を知った私たちは、皆、イエス様に結ばれて、光としていただいたのです。私たちは、皆、「光の子」。この言葉を聞くと、なんだかとても元気が出てきます。学校で顔と顔を合わせて一緒に勉強できるようになったのですから、「光の子」として、お互いがお互いを照らすことができるのではないでしょうか。仲間に会えなかった長い休校の後ですから、クラスの中にその人がいるということ、そして、その人の存在の中にある輝くものに改めて気づけるといいですね。「光の子」で一杯の学校で、じめじめとした季節も、希望とともに生活できますように。

丘の学び舎 その71(小学生版)

2020年6月10日 校長室より
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丘の学び舎 その70(中高生版)

2020年6月9日 校長室より
中高生の皆さんへ 新しい生活様式に則った学校生活が始まってきています。つい慣れ親しんだ動き方をしてしまい、はっとさせられることがあります。緊張しすぎず、でもすべきことを守りながら、新しい生活様式が自然になっていくといいですね。 6月が「みこころの月」であることを、今日はもう一度思い起こしてみてください。「みこころ」というと、多くの人は、中学校通用口右側に立っている「みこころのご像」を思い出すことでしょう。両手を広げて立っておられるイエス・キリストの足元の台には、「我に来れ」と書いてあります。英語であれば「Come to me!」です。イエス様のみこころがどんな心であるか、最もよく教えてくれているイエス様ご自身の言葉が「みこころのご像」には刻まれているのです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11:28) これまで経験したことのないような緊急事態に遭遇し、心も体もなかなか元気が出ない私たちです。「これからは色々なことに注意し、緊張感をもって生活しなければならないし、これがいつまで続くことになるのかわからないし・・・」と考えるだけで、私たちの心は重荷で一杯になるのではないでしょうか。ほっとしたいというのが、私たちの心からの願いだと思います。 皆さんをこれまでと同じように学校に迎えてくださるのは「イエスのみこころ」です。登校してきたら、是非、「みこころのご像」を仰ぎ見てください。イエス様の心の中に入れていただきましょう。そして、「休ませてあげよう」と招いてくださるイエス様のふところの中で、ほっとさせていただきましょう。そうしたら、きっと心は軽くなって、よい日を過ごすことができると思います。

丘の学び舎 その70(小学生版)

2020年6月9日 校長室より
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丘の学び舎 その69(中高生版)

2020年6月8日 校長室より
中高生の皆さんへ 1年生から12年生まで、すべての学年が新学年度最初の登校を終えました。これまで経験したこともないような長い空白の後の再会であると同時に、昨日まで会っていたような自然な再会でもあり、とても不思議な気持ちの毎日でした。これまでと違うのは、新しい生活様式のもとでの学校生活であるという点です。 ところで、皆さんが集まってくるというのは、本当にいいものですね。やっぱり学校はこうでなければと思いました。休校中、オンラインでの学習支援にすっかり慣れたことでしょう。もちろんオンラインでも交流しながらの学習は可能ですし、今回のような場合には、本当に有難い手段です。しかし、ネット上ではなく、顔と顔を合わせる協働的な学びの場を創り出すのが、学校の本来の使命ではないかとつくづく感じさせられました。 先週、思い出していたのは、「学」という漢字の旧字体です。皆さんは知っていますか。「學」と書きます。以前読んだ教育学者佐藤学先生の説明に、ずいぶん考えさせられたことがあります。上の真ん中縦に二つ並んだ「メ」は、学ぶことに欠かせない交わりを表しています。上は、学問・芸術・文化との交わり、下は仲間同士の交わりです。その両側に左右に分かれた「臼(キュウ)」、これは、学びを導き支える大人(教師)の手です。そして、学ぶ主体である子供が建物を意味する「冖(ワカンムリ)」の下にいます。漢字はなんと物事の本質を的確に表しているのでしょう。 三密にならないとか、人との間に距離を置くとか、ずいぶん人との交わりに気を使わなければならない学校生活です。それでもやはり、学校に来て出会ってほしいです。先生方も精一杯、皆さんが交わりを通して学ぶことができるよう、工夫しサポートしていきます。新型コロナとともに生きる時代にふさわしい、新しい「學びの共同体」をみんなで創っていきましょう。

丘の学び舎 その69(小学生版)

2020年6月8日 校長室より
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丘の学び舎 その68(中高生版)

2020年6月5日 校長室より
中高生の皆さんへ 今日は2年生と12年生が登校し、これですべての学年が一度は登校したことになります。これから順調に分散登校が進んでいきますようにと祈るばかりです。 今日お話したいのは、水曜日の小さな出来事です。お仕事を終えて本館校舎を出ると、小学校校舎の向こう側、西の空が真っ赤に染まっているのに気が付きました。真っ赤といっても真紅ではなく、オレンジ色がかったとても神秘的な赤です。思わず「わーっ」と一人で声を出してしまいました。見る見るうちにその色は薄くなっていきましたので、ちょうどよい瞬間に立ち会ったのかもしれません。美しい夕焼けを見て感動し、幸せな気持ちになりました。一日の終わりに、ほっとさせられた出来事でした。 美しいものを見て感動する気持ち、これは「Sense of Wonder」ということができます。 「沈黙の春」という本で日本でも話題になったレイチェル・カーソンのことはご存じでしょう。そのレイチェル・カーソンの著書「The Sense of Wonder センス・オブ・ワンダー」(上遠桂子訳)のことを、その日の夜は久しぶりに思い出しました。その本の最後でレイチェル・カーソンは述べています。「自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手にいれられるものなのです。」 登下校中の小学生を見ていると、どれほどこの世界は新鮮で驚きと感動に満ち溢れていることか、教えられることが度々あります。年齢が上がるにつれてその驚きは薄れ、大人になるとすっかり慣れっこになってしまうのかもしれません。今は、ウィルスに悩まされている私たちですが、そんな時でも、この世界はやはり驚きと感動に満ち溢れているのではないでしょうか。どうぞ日々の生活の中で小さな「Sense of Wonder」に出会い、そこから生きる喜びをいただくことができますように。

丘の学び舎 その68(小学生版)

2020年6月5日 校長室より
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丘の学び舎 その67(中高生版)

2020年6月4日 校長室より
中高生の皆さんへ 今日は3年生と11年生が登校してきます。マスク姿で表情はわかりづらいですが、皆さんの元気な姿を拝見して、本当に嬉しいです。この3ヶ月の間に背が伸びたり、大人っぽくなったりして、一人ひとりの成長を感じています。 新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、様々なカタカナことばが日常的に使われるようになりました。皆さんもよく目にしたり、耳にしたりしていることでしょう。世界中が巻き込まれていますので、感染症対応の特別な表現が英語圏から入り、そのままカタカナにして使っている結果といえるのでしょう。その中の一つ、「ソーシャル・ディスタンシング(social distancing)のことが、英語のnativeの先生との間で話題になりました。「『Social distancing』はよくない。今、守らなければならないのは『フィジカル・ディスタンシングPhysical distancing』だ。心は近くていいのだから。」と力を込めて話されるのを聞き、非常に納得しました。私たちが注意しなければならないのは、ウィルスをあげたりもらったりしないために、体と体の間に距離を置くということです。それは決して、自分の身を守るために人とは関わらないようにしなさい、という呼びかけではないはずです。 マスクで口元を覆い、互いに近寄らないようにしたり、話す時にも声量を下げたりしていると、人とどのように関わったらよいのか、わからなくなることがあるのかもしれません。しかし、こんな非常事態の経験を通して、自分のためだけに自分を守るのではなく、みんなのために自分を守るのだという姿勢を培い、相手を大事にするということを基準に判断し行動できる人に成長してほしいと心から願っています。一人ひとりのかけがえのなさに配慮しながら、助け合い、守りあう共同体が、学校の中にも、社会の中にも広がっていきますように。

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