雪の朝
雪の朝となりました。
木々は白い粉をふりかけたよう、小学校の前庭も一面真っ白になりました。
足跡を残しながら、子どもたちが登校してきました。
寒さをものともせず、さっそく校庭で元気に雪遊びをする姿が見られました。


丘の学び舎 その104
感染症拡大第三波の勢いが、増加の一途を辿っています。その上、日本列島は記録的な寒波に見舞われています。大雪の被害に関する情報が各地から届き、胸が痛みます。1月17日もやってきます。阪神淡路大震災から、26年目。2021年は、気持ちも塞ぎがちなスタートです。
学校は先週から始まりました。子供たちが息を切らしながら坂道を登ってくる姿は、元気そのものです。新しい学校生活への好奇心に満ちています。子供たちから元気をもらって、私も新しい年の学校生活を始めました。入学試験のシーズンもやってきます。今回から新たに始まる大学入学共通テスト、そして、中学校、高等学校の入学試験を間近に控えた全国の受験生にとっては、例年にも増す緊張感の中での試験となります。無事に終わりますようにと祈らずにはいられません。
カトリック教会では、昨年の12月8日からの1年間を、「ヨセフ年」と定めています。イエスを育てた父、聖ヨセフが教会の保護者として宣言されてから150年を迎えることを記念して定められた「ヨセフ年」です。このパンデミックの渦中、聖ヨセフを思い起こして祈ることは、とても意義深いと改めて感じさせられます。
聖ヨセフは教会において、聖マリアほど脚光を浴びることはありません。しかし、実際のところ、ヨセフの存在なくして、マリアが神の子の母となるという救いのみわざは成就しませんでした。イエスは日常生活において、天の御父の愛をかたどる人間の父の愛を、ヨセフから学ばれたはずです。ヨセフは、優しく愛情深く、日々の困難を耐え忍びながら慎ましく誠実に生きた人です。創造的な勇気を持ち合わせていたことも、聖書から垣間見ることができます。マタイによる福音書では、「正しい人」という最高の表現で、ヨセフの人間性を伝えています。「普通の人」として、誠実に生きたがゆえに「聖なる人」となった「聖ヨセフ」を、この一年、模範として仰いでいきたいと思います。制約の多いコロナと共に生きる日々、地に足をつけ、希望をもって生きるために大切なことを、教えてくださることでしょう。

ムリリョ「小鳥のいる聖家族」
氷柱
今朝はずいぶん冷え込みました。
気温は氷点下まで下がったようです。
通学路の坂道の途中に氷柱(つらら)のできている場所がありました。
苔むした壁や草の茎から滴る水滴が少しずつ凍ってできたのでしょう。
朝陽がさして、その尖った先から再び水となって滴っていました。

丘の学び舎 その103
新年明けましておめでとうございます。
2020年は終わりましたが、国内外のコロナ情報を耳にすると、晴れやかな気持ちで新年の挨拶ができないのが残念です。しかし、神様の祝福をいただき、新しい気持ちで、二度と戻らない一日一日を丁寧に過ごしていきたいものです。学校は未来を創り出す子供達を預かっています。できる限り通常に近い学校生活の中で、できる限り豊かな学びを通して、児童生徒が大きく成長できますよう、今年も努めて参ります。
毎年1月1日、教皇フランシスコは全世界に向けて「世界平和の日」メッセージを発表なさいます。今年のテーマは、「平和への道のりとしてのケアの文化」です。この一年の間に、人類は、健康危機のみならず、気候、食料、経済、移住等、密接に結びついた世界的規模の課題がいっそう深刻になるのを経験しました。命がけで全力を尽くして患者のケアに当たってくださっている医療従事者や保健機関の方々がおられる一方、ナショナリズムや人種差別、外国人排斥、そして戦争や紛争が新たに勢いを増してきていることも、否定できません。
コロナ禍を通して、私たちは様々なことに気づかされました。中でも、兄弟愛に満ちた関係に基づいた社会を築くために、互いをケアしたり被造物を大切にしたりすることがいかに重要であるかということを実感する一年でした。そこで、教皇様は、現代世界にはびこる「無関心の文化」、「使い捨ての文化」、「対立の文化」に打ち勝つための「ケアの文化」を世界中の人々に呼びかけられました。
人が出会い共に生きる場、家庭であれ、学校であれ、職場であれ、どこにおいても、「物理的距離」ゆえに壁を建て、無関心になるのではなく、人の痛みに気づいて配慮し、何らかの行動に移し、「ケアの文化」をつくりだす一人になれますように。小林聖心で育つ子供たちがそんな「ケアの文化」の担い手となることができるのであれば、それこそが大いなる希望です。
共にいてくださる神様にすべてを委ね、子供たちとよい一年にしていきたいと願っています。