小林聖心女子学院ブログ 小林聖心
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丘の学び舎 その60(小学生版)

2020年5月26日 校長室より
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丘の学び舎 その59(中高生版)

2020年5月25日 校長室より
中高生の皆さん 今日は、創立者聖マグダレナ・ソフィアのお祝い日です。オンラインで全校生徒心を合わせてお祈りすることができ、とてもよいひとときでした。聖マグダレナ・ソフィアも現代ならではの方法に感心し、喜んでおられたことでしょう。 ところで、今日の写真は何だかわかりますか。ジョアニーにある聖マグダレナ・ソフィアの生家の一室、10代半ばでパリに行くまでソフィー(聖マグダレナ・ソフィアの愛称)が使っていた部屋の窓です。ソフィーの部屋は、その地方独特の模様の壁紙が美しい、小さな部屋です。壁には兄のルイから贈られた「イエスのみこころ」のご絵が飾ってありました。ソフィーはぶどう畑やお家でよくお手伝いをしましたが、それ以外は、この部屋で一生懸命勉強しました。ルイがソフィーに課したたくさんの勉強に、黙々と取り組んでいたのです。 時々、手を休めては、この窓から外の様子を見ていたことでしょう。この窓の先には、ジョアニーの市庁舎があります。町の中心です。ソフィーが10歳になる5か月前にフランス革命が勃発し、その波は、当然、このジョアニーにも押し寄せてきました。市庁舎あたりの様子からただならぬことが起こっていることを察知し、幼い心を痛めていたに違いありません。ソフィーは革命で混乱する社会を、一部始終、この窓を通して眺めていたのです。 2年前にジョアニーを訪れ、この窓から外を眺めた時、聖マグダレナ・ソフィアにとって社会との接点といえるようなこの窓に、とても心惹かれました。部屋という自分の世界と外の世界をつないでくれる窓です。もちろん、ソフィーの内なる世界、部屋の中心は「イエスのみこころ」です。神様の無限の愛、慈しみの心を余すところなく示してくださった「イエスのみこころ」。その「みこころ」にしっかりとつながりながら、社会と向き合って悲しみや痛みを人々と共にし、自分自身の使命に目覚めていった、そんなソフィーの魂が今もその部屋に生きているようでした。 コロナ禍という歴史的な時を生きている一人として、それぞれの心の窓を通して社会や世界を眺め、自分はどんな生き方に呼ばれているのかを考えてみましょう。きっと聖マグダレナ・ソフィアは、「窓から外を眺めてごらんなさい」と仰っていると思います。

丘の学び舎 その59(小学生版)

2020年5月25日 校長室より
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丘の学び舎 その58(中高生版)

2020年5月22日 校長室より
中高生の皆さんへ 来週の月曜日5月25日は、創立者聖マグダレナ・ソフィアの祝日です。いつもの年なら、廊下を歩くと聖歌の練習が聞こえてきたり、校舎のあちこちに聖マグダレナ・ソフィアにまつわる写真等が飾られたりしていて、お祝いのムードが高まっている頃です。聖マグダレナ・ソフィアの歌を思わず口ずさんでしまいます。 ここからは、親しみを込めてマザー・バラとお呼びすることにします。パリのロダン美術館が、1820年~1907年まで聖心女子学院だったことはご存知だと思いますが、その学校の庭に、「マザー・バラの木」と皆が呼んでいた一本の杉の木がありました。マザーは、その木陰で子供たちを集めてお話をしたり、一人で祈ったりするのが大好きでした。今はもうその木はないのですが、昨年オーストラリアのブリスベンに行った時、訪問した修道院の一室で聖心会のロゴがついた整理棚を見つけ、不思議に思って中を覗いてみると、「この棚は、パリのマザー・バラの木で作ったものです」と書かれたプレートが張り付けてありました。オーストラリアで「マザー・バラの木」にお目にかかれるとは思ってもいなかったので、とても心が熱くなり、思わず撫でてしまいました。 小林の修道院がロザリオヒルに引っ越してから、はや一年が過ぎました。引っ越したばかりのある日、オラトリー(小さい聖堂)に座っていてふと庭の方を見ると、一本の木が目に留まりました。それ程大きくない木ですが、まるで絵本でも見ているかのように、その木陰にマザー・バラが座って、子供たちにお話をしている光景が浮かんできました。以来、私は勝手にその木を「マザー・バラの木」と思っています。そして、オラトリーで祈る時には、小林聖心の子供たちがその木陰に集まって、マザー・バラからお話を伺っている姿を想像しては、楽しんでいるのです。 今年のお祝い日も、マザー・バラが皆さんに優しく語りかけてくださいますように。そして、こんな辛いことが起こっている時だけに、どんなに皆さんのことを思っていてくださるか、そのお心に触れることができますように。

丘の学び舎 その58(小学生版)

2020年5月22日 校長室より
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丘の学び舎 その57(中高生版)

2020年5月21日 校長室より
中高生の皆さんへ この数か月、色々な方から「家の中で過ごす時間が増えたので、料理や掃除、そして、日頃できなかったものの整理に力を入れている。」という話を耳にします。皆さんはいかがですか。これまでやりたくてもなかなかできなかったことや、疎かになっていたことに時間を使うようにしている、ということはないでしょうか。 この機会に皆さんに見直してほしいのは、「家事」がいかに大切かということです。お家の方に喜んでいただけるのはいいことですが、それ以上に深い意味を持っています。小林聖心では小学校入試や中学校入学に際しての面接で、「どんなお手伝いをしていますか。」と必ず尋ねられますね。皆さんよくご存知でしょう。家庭の一員としての責任を果たしてほしいということはもちろんありますが、さらに、「惜しみなく働く」という伝統が息づいている聖心の教育においては、「お手伝いをする」ということに重要な意義を見出しているからなのです。それは「動く身体」をつくるということ、そして、「動く身体」をつかさどる「身体知」(身体で覚えた知恵)を育むということです。 スポーツで体を鍛えるのとは異なる意味で、家事は立派な身体活動です。スポーツのように「身体を動かす」のではなく、周りの状況に気づいて「身体そのものが動く」という経験を積むことができます。そして、実際にやりながら、身体で感じ取り覚えていくことでしか身につかない知恵が、「家事」を通して培われることになります。 小林聖心ではたくさんの行事があり、その都度、「頭と心を使って惜しみなく働きなさい。」と言われます。まさに学校行事には、この「家事」と似たような学びがあるのだと思います。聖心の教育方針に掲げられる、「魂」「知性」「実行力」。これら3つが統合された資質が、「家事」を通して育まれます。どうぞ皆さん、一生懸命お手伝いをしてくださいね。

丘の学び舎 その57(小学生版)

2020年5月21日 校長室より
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丘の学び舎 その56(中高生版)

2020年5月20日 校長室より
中高生の皆さんへ このところ、キャンパス全体が静まりかえっているせいでしょうか。普段は聞こえていなかったような音が耳に入り、ふと手を休めて聴きいってしまいます。 雨の雫の音、そして、雨粒が葉っぱや屋根や地面に落ちる時の音。風の音も聞こえてきます。ある時にはそよそよと爽やかに、またある時はごうごうと激しい音を立てて。その時々の風を受けて揺れる木の葉の音にもそれぞれの表情があります。そして、鳥のさえずり。これまで、こんなさえずりは聞いたことがないと思う程、様々な鳥のさえずりが、小林の丘一面にこだましています。普段より人の気配が少ないからでしょうか。あちこちからたくさんの鳥が集まってきているように感じます。 自然が醸し出す様々な音を楽しんでいると、わたしの好きな言葉を思い出します。「世界は音」(J・E・ベーレント著、大島かおり訳)という本の中に出てくる「耳の中の神殿」です。耳は、人間の身体の中で、最も早くから機能している器官です。そして、目や口は自分で閉じることができるのに対して、耳は生きている限り自分からは閉じることができない、常に外に向かって開かれた器官です。耳は、世界とつながって、そこに存在するものを認識できるよう、命の始めから終わりまでずっと働き続けているのです。 耳の中に神殿がある。神殿ですから、神様がそこに住んでおられるということでしょう。耳は神様との出会いの場なのです。人間は、聴くことを通して、神様に出会えるのだということを教えてくれています。 皆さんは、この頃、どんな音を聞いていますか。ただ聞くのではなく、聴くという聞き方をしているでしょうか。そして、聴くことを通して、平和や喜びをいただいていますか。おそらく、この緊急事態の中、皆さんの普段の生活においても、これまで気づかなかったような音に出会うことが増えているのではないでしょうか。この機会に、「耳の中の神殿」を見つけることができますように。

丘の学び舎 その56(小学生版)

2020年5月20日 校長室より
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