小林聖心女子学院ブログ 小林聖心
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丘の学び舎 その51(小学生版)

2020年5月13日 校長室より
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丘の学び舎 その50(中高生版)

2020年5月12日 校長室より
中高生の皆さんへ 気がつくと、もう5月も半ばにさしかかろうとしています。いつもなら、夏休みに行われる海外体験学習の準備が進んでいる頃だと思うと、妙に懐かしくなります。今年は、小林聖心からの派遣も、小林聖心への受け入れも、すべての海外体験学習プログラムが中止となり、残念でなりません。一つのプログラムだけが中止になったことは過去数回ありましたが、今回のように、派遣も受け入れもすべて中止というのは、かつてなかったことです。しかし、これが今、私たちが置かれている世界の現実なのでしょう。 小林聖心で、皆さんがよく耳にしている言葉の一つに「Trans‐Border」というのがあります。現代の若者は内向きで、海外に行きたがらないとマスコミの話題に上ったりしますが、小林聖心の生徒を見ている限り、決してそんなことはありません。外国に対する垣根がとても低いのでしょう。それは英語への興味はもちろんのことですが、世界に広がる聖心ネットワークのお陰で、小さい時から海外の話をよく耳にし、外国がいつも身近にあった、ということを卒業生が話してくれます。 他国との行き来が厳しく制限され、日本国内でも他府県への移動がままならないほど限られた地域での生活が余儀なくされている今、「Border(国境・境界)」を超えるとはどんな意味を持つのでしょうか。しかも、隣の人とも「Social Distancing」で物理的な距離を置くよう注意を払わなければなりません。この生活が続くと、ウィルスが終息しても、人との直接的な関わりを警戒し、異なる文化に飛び込む勇気を失って、慣れ親しんだ狭い枠組みの中で安穏としているような私たちになってしまうのでしょうか。 物理的に国境を越えることが不可能な状況の中で、人間の精神はいつも境界を超える自由に招かれています。海外に出ていくことだけが必ずしも「Trans-Border」ではありません。何かに囚われて心を開くことができない、そんな自分に気づくことが超えるということ。「Trans-Border」の本質である「Open Mind,Open Heart」を、この事態の中でも生きていけますように。

丘の学び舎 その50(小学生版)

2020年5月12日 校長室より
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丘の学び舎 その49(中高生版)

2020年5月11日 校長室より
中高生の皆さんへ 立夏を過ぎ、いよいよ初夏の陽気になってきました。 この時期になったら紹介しようと思っていた木があります。本館談話室横の扉から出入りする時、必ず目にする「小手毬(こでまり)」です。4月中旬から花をつけ始め、見頃を迎えました。無数の白い小花が集まって手毬のようになり、その小さい手毬のような花が、一本の枝に幾つも並んでいます。花の可愛らしさもさることながら、そばを通るだけで手毬が揺れるような、そんな優しい雰囲気に魅了されます。 ところで、この2か月余り、私にとっては、とても不思議な時間が流れています。皆さんの何倍も生きてきましたが、生まれて初めての感覚です。時計の時間は同じように流れていて、周りの自然は移り変わっています。お仕事をして、頭も体も一応動かしているつもりなのですが、ふと気づくと、3月から時間が止まっているような感じです。 創立者聖マグダレナ・ソフィアのお言葉「日めくりカレンダー」で、先週、こんな言葉に出会いました。「神の業は ゆっくり かつ ひっそりと 成し遂げられます。」『ゆっくり』『ひそかに』、それが神様のなさりようなのだと、はっとさせられました。 現代人のスピード感覚では耐え難い、待つより他ない時間の中で、一刻も早く普通の生活に戻りたくてもがいているような私たちです。しかし、コロナ禍は『ゆっくり』『ひそかに』世界を変えながら終息していくのではないでしょうか。というよりは、すでに変わってきていたものが、最後の局面を迎えているといった方が正しいのかもしれません。新しい世界の姿は、まだはっきり見えてきません。世界の政治・経済の枠組み、人間の意識、自然と人間との関係、国家を超えた連帯・・・等々の変容。歴史が動いていきます。 そよ風を受けて優しく揺れる「小手毬」の花を見ていると、『ゆっくり』『ひそかに』働いておられる神様を見る思いがします。そして、このところの不思議な時間が、意味を持つように感じるのです。 談話室横の「小手毬」

丘の学び舎 その49(小学生版)

2020年5月11日 校長室より
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丘の学び舎 その48(中高生版)

2020年5月8日 校長室より
中高生の皆さんへ 今度の日曜日は、母の日ですね。お母様のために何かしようと、そろそろ考えているのでしょうか。私には、もうすぐ89歳になる母がいますが、遠くまで会いに行くこともままならず、せめてもいつもの電話となりそうです。 今日、皆さんに、是非、紹介したい詩があります。シスター古木涼子(イエスのカリタス修道女会)がおつくりになった「いのち」という歌の詞の一部です。 いのちがこんなに尊いのは   この世にたったひとつだから 命がこんなにきれいなのは   神さまが心こめてるから いのちがこんなに愛しいのは   それはあなた あなたのいのちだから 皆さんがこの世に生を受けて、初めて抱っこしていただいたのが、お母様だったでしょう。 そのお母様は、きっとこのような気持ちであなたを見つめ、抱っこしてくださったのだと思います。「かけがえのないあなた」とのご対面です。 母の日に、日頃の感謝を込めて何かをすることで、お母様に喜んでいただけるのはとてもいいことです。でもその前に、是非、最初に抱っこしていただいた時の、お母様のまなざしと思いを感じてみてください。 お母様が注いでくださったまなざしの奥にあったのは、神様のまなざしです。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1:31) 「良かった」というのは、神様の感動あふれる言葉です。「よしよし、なんて愛おしい!」 母の日に、お母様はもちろんのこと、あなたに至るまでのたくさんのいのちのつながりに思いを馳せてみましょう。そして、それぞれのいのちの源である大いなる神様に、感謝する日でもありますように。 小林聖心南庭の聖母子像

丘の学び舎 その48(小学生版)

2020年5月8日 校長室より
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丘の学び舎 その47(中高生版)

2020年5月7日 校長室より
中高生の皆さんへ 連休は終わりました。といっても、あいかわらずSTAY HOMEの日々です。 この数ヶ月、よく耳にするようになった言葉が色々あります。その中に、「安全」「安心」というのがあります。私も、学校からのお知らせ等によく使っています。きっと、私たちが今一番欲しいものが、この「安全」「安心」なのではないでしょうか。そこに出てくる「安」という漢字は、変わったことがなく穏やかで落ち着いている、心配がない、安らかである、という意味で用いられます。確かに、変わったことがないのが一番。思い悩むことなく、安らかでいたいです。「安」が与えてくれる心地よさに、今は特にひかれます。 ところで、キリスト教において、この「安」は「シャローム(平安・平和)」です。復活なさったキリストが、弟子たちの真ん中に立って仰った「あなたがたに平和があるように」(ヨハネによる福音書20:19)という言葉が、信仰の出発点です。イエス・キリストの最高の願いは、私たちが安らかであるようにということなのです。 しかし、このヘブライ語の「シャローム」は、単なる平穏無事を意味するのではありません。戦争とか災難、人間関係のトラブル等、いやなことが何もない状態ではありません。神様から命の息吹をいただいて生きるようになった人間が、神様を信頼し、神様との活き活きとした交わりの中にあることを表しています。さらに、自分だけがいい思いをしていることではなく、神様とのシャロームを生きる人は、様々な困難の中でもシャロームを人々に届け、分かち合う人なのです。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5:9)とイエス様が仰ったとおりです。 こんな非常事態の中で、「安全」「安心」を願うあまり、独りよがりの「安」で満足することがありませんように。限りなく大きい神様の懐から湧き出る「シャローム」をいただき、その「シャローム」を周りに広げていくことができますように。

丘の学び舎 その47(小学生版)

2020年5月7日 校長室より
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