聖心(みこころ)の祝日記念行事(中学校)
今日は、聖心(みこころ)の祝日をお祝いしました。中学校では、朝のお祈りをした後、Zoomを用いてカトリック神戸

山野さんによる講話

心を込めて雑巾を縫いました
聖心(みこころ)のお祝い日
6月は聖心(みこころ)の月です。
今日は聖心のお祝い行事の日でした。
朝は1、2年生が聖堂に入り、みことばの祭儀を行いました。
3年生以上は、聖堂からの中継を見て教室で参加しました。
その後昼にかけて、沈黙で作業を行いました。
5、6年生は教室で雑巾を縫い、1~4年生は校内を掃除しました。
この半日を通して、イエス様の聖心についての思いをそれぞれに深められたことでしょう。
7年生理科の授業
7年生(中1)の理科の授業風景です。実験操作の基本シリーズとして、マッチの使い方・メスシリンダーの使い方・電子天秤の使い方を勉強しました。
エントランスの掃除をしてくれました
StageⅠ運動会に向けて、体育の時間は運動場での練習に励んでいます。
練習を終えて運動場から帰ってくる子どもたちの靴の泥や砂がエントランスに溜まっていました。
昼休みに、それを見つけた整美部の6年生たちが自主的に掃除を始めてくれました。
9年生のディベート
9年生(中3)の総合的な学習の時間では、社会に目を向けて自分の考えや視野を広げる練習としてディベート風討論会を行っています。論題は「東京オリンピックは実施すべきである」「制服の多様化を認めるべきである」「高校を義務教育にすべきである」など、今生徒たちの間でも話題になっている事柄が取り上げられています。


丘の学び舎 その127
3度目の緊急事態宣言が解除となりましたが、まだまだ気を引き締めて過ごさなければなりません。「コロナと共に」という学校生活が2度目の夏を迎え、この頃つくづくと感じることがあります。それは、小林聖心らしいものが学校から消えているという淋しさです。まずは、何よりも「朝礼」です。小学校では、毎週1回の全校での朝礼、中高では、毎朝、中学校朝礼、高校朝礼、そして、週一回の合同朝礼が行われてきました。小林聖心という共同体の一員として集まり、その集団の中に立つことで一日を始めます。そして、声を合わせて祈り、一人の先生の話に全員で耳を傾けて共有します。学年を越えた大きな集団で一か所に集まることができなくなって久しい今、児童生徒と教員が一堂に会するということがもたらしていた不思議な力を感じずにはいられません。
もう一つ淋しく思うのは、「分かち合い」ができなくなったということです。特に、一緒に楽しく食事をする、時には同じものを分け合って頂くというという「分かち合い」です。聖歌「マラナタ」で「主の食卓を囲み~♪」と歌うように、イエス・キリストの準備してくださる「ミサ」という食卓に学校で与れなくなってきているのも、とても残念なことです。さらに、合唱の歌声が、校内から消えているのも、淋しい限りです。声を響かせて一緒に歌うことにより、かけがえのない喜びを頂いてきたのだということを改めて実感しています。
「共に」いることから学ぶことの多い小林聖心らしさの数々が、コロナ禍においてはまさに避けなければならないことばかりというのは、とても皮肉なことです。これまで当たり前のように行ってきたことの意味を、再発見する時なのでしょうか。もちろん、できる限りの工夫をして、大事なことを失くさないよう努めることはできます。しかし、先端技術を駆使したつながりがどれ程可能になろうとも、身体全体を含めた存在である人間として、空間を共にし、顔と顔を合わせて出会うということに代えられるものではありません。子供たちの健やかな成長のため、一日も早く、集まったり、分かち合ったりできるようになることを、祈るばかりです。
理科でカイコを観察しました
3年生は理科で昆虫を学習します。
モンシロチョウにつづいて、今はカイコを飼って観察しています。
糸を出して繭をつくっている最中のカイコも観察できました。
iPadを使って日付を入れて観察記録をつくりました。
みこころの祝日準備
カトリック教会では6月は「イエスのみ心の月」で、6月11日が「み心の祝日」でした。本校の中学校・高等学校では、6月23日に「みこころの祝日」を記念して、中学生は自分の身の周りの人や遠く離れた人に思いを馳せ、その人のために時間と心を割く1日を過ごします。高校生は、各学年で別のプログラムで過ごします。当日の様子は、後日お伝えしたいと思います。
今週は、みこころの祝日に向けて、典礼委員が中心になって、そのコンセプトを理解するための展示を準備しました。
8年生Oral Communicationの授業


